専務理事 小田 祐司

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専務理事 小田 祐司

 

【総括】

 「郷土愛溢れる自律したサッポロの創造」を基本理念に組織運営の最高責任者としての自覚をもって1年間活動してまいりました。また、64年間積み上げられた札幌JCとしてのプライドを重く受け止め、札幌JCとしての全うな運動がなされているかを常に意識し、すべての会議・委員会の事業を管理、監督してまいりました。

 

【専務理事になった理由】

 2014年某月某日、田﨑秀明よりランチの誘いがありました。「ちょっと昼メシでもいかないか」的な誘い文句だったはずです。しかし、JCではこのような意味不明な誘いには明確な意図があることを7年間のJC生活で身に沁みて理解している私は「ま・さ・か」と嫌な予感を感じながら某所に向かったのでした。田﨑秀明は少し緊張した面持ちで「理事長を受けた」という話しを始めました。私は内々で知っていたので「あー、おめでとうございます」のような気のない感じで返しながら「という話しをするということは?」と嫌な予感の高まりを感じました。

当時副理事長だった私は、2015年度は「塾長」になるはずと勝手に妄想しており、実際に同期副理事長だった奥山倫行とは次年度は「俺が塾長だ。いや俺だ!」という無駄極まりない争いをしていたくらいです。しかし、この某月某日に塾長のオファーがくるわけがない。私のJC経験から次にでてくる言葉をポジティブに予測しましたが、いくら前向きに考えても後ろ向きになる1つの選択肢だけが残っていました。田﨑秀明は次年度への壮大なビジョンを語りながら、いつものあたりまえ的な言い方で言いました。「で、専務はユウジしか考えていない。」私は少し興奮しながらこんなふうに返したと記憶しています。「やっぱり専務ですか!?俺は絶対向いてないですよ?!」

札幌の専務というのは近年、佐々木和也、奥山倫行、佐藤光展のように、どっしりと落ち着いていて、スーパーコンピューターのような脳や核弾頭のような攻撃力、そして底知れぬ冷酷さをもった特殊な人間達がやる役職です。私のように軽快さが持ち味で、変化を好むような生き方をしてきた人間がやる役職ではないはずでした。そして私の処理能力でこの役職をやった場合、仕事がまったくできなくなり、すべてのプライベートが吹っ飛ぶであろうという恐怖もありました。

つまり、私にはまったく縁がなく、そして能力的に不可能だと思っていた役職が「専務」であっ

たということを告白しておきます。一方で、その能力に同じ青年経済人として憧れをもっている田﨑秀明の下で、この不可能なはずの役職を全うできれば、自分にとってとんでもない成長に繋がるのではという、健全な成長に対する野心が同居していたことも事実です。JCの役職とは実に不思議なもので、本当にイヤイヤながら喜んで引き受けるという2面性を持っているのです。

 

【締めをなくした理由】

 予定者の時期は早朝会議を15回重ね、万全の準備をしてスタートしたつもりでした。フタを開けてみるとやはり大きな変化であった「締めをなくす」ということでスタートした予定者会議に提出された議案は見事にボロボロの精度でありました。締めを無くす目的は、議長・委員長と担当副委員長の負担を軽減することではなく、結果として専務・常務だけがわかっていた議案の体裁やルールを三役・常任全員で高いレベルで把握し、その感覚を共有しながら議案を作成することが役員の資質を高めると同時に事業のレベルアップに繋がり、それは正に札幌JCの発展に不可欠であるという田﨑理事長の強い思いに、私も深く同意したからでありました。

 

【専務理事の役割】

  進化を求めて変化をおこすと必ずハレーションがおきます。せっかくうまく機能していると思っているものが、全くうまくいかなくなる可能性があるからです。「締めを無くす」ということは専務としての求心力を無くすのでは?そして専務・常務が楽をするためでは?という想定通りの反響に、阿部常務と共に戦う日々がはじまりました。もちろん、はじめて行うことは大抵最初はうまくいきません。そのうまくいかない様は雪道で車が横滑りしだした時ととても似ていて、急にブレーキを踏んだりハンドルを切りすぎたり過剰な反応をするとスピンアウトという最悪の事態に陥ります。雪道では当然スリップすることを想定し、それが起こった時に慌てず騒がず少しずつカウンターをあてながら車体を軌道にもどしていく必要があります。この少しずつ軌道に乗せていく作業は、鏡議長が並々ならぬ努力で全面協力してくれた財審の体裁チェックと同時進行で、締日に自分で紙だしして精査し、それを室長にもどして変更させるというものでした。本末転倒で締めをやった方がよっぽど楽です。ただ、この時気をつけていたのは、体裁以外はできるだけ議長・委員長と直接話しをしないということ。それをしてしまうと室長を中心としたラインの議案に対する責任が軽くなってしまうからです。また、上記の「隠れた締め」のようなことをできるだけ少なくするために、三役会・常任理事会では総務ラインで徹底して意見を出しました。阿部常務は徹底的に体裁面の意見を言う。私は徹底的に記載の仕方や内容の意味不明な部分や、矛盾がないかを洗い、三役会・常任理事会でしつこく擦り合わせを行いました。それができていないと判断した場合は妥協なく取り下げとなる。この流れが2015年度の異常なほどの臨時常任理事会の数となったのです。

大前提として、会議で多数の意見を出すには議案を隅々まで読み込んで自分なりの基準をつくりださなければなりません。スーパーコンピューターが脳内に無い私は土日をほとんど潰して膨大な時間を議案の精査に費やしました。締めを無くしても、私は役員の中で議案に向き合う時間が圧倒的長いという、歴代の専務が皆通ってきた道を踏襲してきました。締めがあろうがなかろうが、この圧倒的に長い時間議案と向き合うという地盤があったからこそ、田﨑理事長からも信頼していただき、三役・常任を掌握することができたと考えています。また、専務としてまがりなりにも全うできた理由はいつも尊敬させてくれ続けた田﨑理事長の背中と、しっかりと私を影で支え続けてくれた阿部常務がいたからに他なりません。阿部常務はより大きな成長のために、ステージを変えて重々しい雰囲気をだしてほしかったため「おまえはもう面白くない。もう今は境田の次代だから」言い続けてきましたが、実は私は阿部英介こそ、この世で一番面白くて、むしろ私にとってはスーパースターだと思っていることを告白します。そして阿部常務と共に私を支える側のラインであった三品室長はLOM1番の豪腕で、彼の取りまとめは「鬼まとめ」と私はいつも揶揄しながらも、もっとも信頼していました。そして今年は常任理事の3名には「委員長よりもつらい」と陰口を叩かれていたと聞きます。当然ですが、阿部はもちろん、伊藤、小野木の両常任理事も次年度の重責がまっているであろうことは明らかであったので、少しでもレベルを引き上げたいと考えての厳しさでした。その中から小野木が副理事長を受けた上に、伊藤龍平が私の後釜の専務理事を受けてくれたことは、大変な喜びで、急に血の繋がった弟達のように思えてやさしくなでまわしたい衝動にかられましたが、次年度が決まって以降、逆に彼らのラインの議案は私によってそう簡単に通らなくなりました。歴代の専務理事がみんなやってきた「愛のある意地悪」です。そして常任達に比例するように副理事長の神代、森田、油矢にもハードにぶつかることが多くなり、田﨑理事長が良く笑い話で言う伝説の「1時間怒鳴り合いin三役会」や「怒鳴り合いat国連前(NY」に繋がったわけです。それにも関わらず私を副理事長達のリーダー的な役割の専務として立て続けてくれて、相談等をしながらライン運営をしてくれたことに心より感謝します。

 

【札幌JCの進化】

「昔のJCは良かった。それに比べたら今のJCは・・・。」こんなことを言う先輩がいます。これははたして本当でしょうか。もし時間を測らずに100M走が行われていれば「カール・ルイスは歴代最速のランナー説」が、サッカーでよく言われる「ペレが歴代最高のプレーヤー説」と同じくらいでていたはずだと思います。ですが、実際は9.86という当時驚異的だったカール・ルイスの世界記録はトップランナー達の目標となり、3年もたたずにあっさり更新されています。ウサイン・ボルトの9.58も数年後には更新されるでしょう。なぜならそれを抜くことを目標に世界のトップランナーは努力を重ねるからです。JCでも10年前、20年前より現在の運動が進化しているのは当たり前であり、2016年度が2015年より進化するのは当然の流れです。しかし、それは「健全な競争意識をもって過去の年度に対峙した場合には」という条件がつきます。常に自分が前年の担当者に勝っているかを自問自答し、前任者と全力で見えない健全な戦いを続けることこそが各役職の進化に繋がり、それはそのままLOMの資質の向上に繋がります。是非2016年度が65年の歴史の中で最高の年度であったと各役職のメンバーが確信できるような札幌JCであることを熱望しています。