副理事長 奥山 倫行

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副理事長 奥山 倫行

 

1.副理事長として自分に与えられた担い

 

 60年以上の歴史と伝統を誇る2014年度の札幌青年会議所の副理事長の一角を担わせていただく。その重責は想像を絶するほどに重く、筆舌に尽くし難いものでした。池﨑潤理事長から「まちの魅力創造室」の担当副理事長の担いをいただいた後、自分なりに副理事長のご指名をいただいた意味を自問自答する日々を過ごしました。「誰のために、なんのために、自分は池﨑理事長から2014年度の副理事長のご指名をいただいたのか」そんな問いを繰り返しながら予定者段階の日々を来る日も来る日も悶々と過ごしていたのです。その日々のなかで、自分なりに解釈したのが、次に述べる3つの意味合いだったのです。1つ目は「2013年度専務理事として2014年度佐々木和也専務理事、赤地勇己常務理事にLOMの運営をしっかりと引き継ぐこと」、2つ目は「2013年度専務理事として2014年度直前理事長を務められる第62代竹原慎雅理事長を引き続きお支えすること」、3つ目は「まちの魅力創造室担当の副理事長として、神代晃嗣常任理事の抱える札幌魅力創造委員会(青山竜太委員長)と札幌の魅力発信委員会(伊藤龍平委員長)の展開する運動や事業の構築と発信を、しっかりと、そして、より強く発信し、さらに次年度以降につなげること」です。まさにこれが、私に課せられた「3本の矢」ならぬ「3本の役割」なのではないか、そんなことを考え、2014年度の1年間のスタートを切ったのでした。

 

2.1つ目の役割

 

 まずは、1つ目の役割です。とにかく「1つ目の役割は予定者段階が勝負」と考えていました。想像がつかない方も多いと思いますが、例年、次年度三役予定者会議は、当該年度の時間を借りて、当該年度中に十数回も開催されます。そのなかで、理事長所信、組織図、出向者、予算などさまざまなことを議論し合い、次年度体制を構築していきます。まさに喧々諤々、百花争乱といった体(てい)で徹底的な議論が尽くされます。ここで如何に英知を絞り出し、あらゆる可能性を検証し尽くすことができるかが、次年度体制の命運を左右することになるのです。2014年度も、例年と同様に、2013年度の時間を借りて十数回も開催されました。そして、そのなかで、私は心を鬼にして、自分の経験のすべてとLOM運営に必要な心構えや細かい点などを、佐々木専務理事と赤地常務理事にお伝えさせていただいたのでした。そこから先はお二人のお力です。皆様もご存知のとおり、2014年度佐々木和也専務理事は札幌青年会議所の歴史に残る名専務理事として、その1年を全うされました。まさか、ここまで立派な名専務理事になられるとは、正直、私も全く想像をしていませんでしたが、佐々木専務理事が名専務理事になられたおかげで、私も少しだけ鼻が高い人生を過ごせそうです。そして、もちろん、赤地常務理事がいたからこその佐々木専務理事です。赤地常務理事は数字面などたまに心許ない部分がありましたが、ハートが熱く、人情味あふれる、そして何より常務理事としての役割の真の意味をしっかりと理解してそれを超えない、これまた札幌青年会議所の歴史に残る名常務理事でした(2013年度今西輝専務理事も30杯以上飲む名常務理事です(詳細は2013年度専務理事事業報告書をご参照ください)。いずれにしても、この2人のお陰で、2014年度、私は1つ目の役割を全うすることができました。本当に1年間、お疲れ様でした。そして有難うございました。

 

3.2つ目の役割

 

 次に、2つ目の役割です。この役割については、実は、1年間、人知れず悩み続けました。自分は2013年度竹原理事長の専務理事である一方で、2014年度池﨑理事長の副理事長でもあるからです。適切な例えではないかもしれませんが、「人気嬢(人気のあるホステスさん)ってこんな気持ちなのかな?」と、少しだけ自分が馴染みの薄い夜のススキノの世界の一端を垣間見ることができた気もしたのでした。また、竹原直前理事長は、2013年度の理事長時代も旅にご一緒させていただくと、専務理事である私とセクレタリーを放っておいて、突然、どこかにいなくなられることがありました。我々が「大変だ!理事長がいない!」と慌てて探していると、その姿を遠目から笑顔で楽しまれている。そんなことが多々繰り広げられたのでした。当時は「理事長という重責を担われているなかでの密かな息抜きの場面なのかな」程度に考えていたのでしたが、2014年度竹原直前理事長のお姿を見ていると、見当違いだったことに気づかされました。直前理事長になり、「現役理事長」という重責から解き放たれたためもあってか、竹原直前理事長は、自由度、奔放度に拍車がかかり、正に神出鬼没といいますか、フリーダムといいますか、ファンタジスタといいますか、自在の動きをされ、その動きを補足しきることができない、自分自身の至らなさを嘆く日々でした。ただ実際には、竹原直前理事長の「お前は、2014年度池﨑理事長の副理事長なのだから、そっちに専念しろ」というご配慮に基づくものだと、重々認識しつつ、そのご配慮に1年間甘えてしまったことに、少し、悔いが残る部分があるのです。どんな年でも、札幌青年会議所の理事長は、一生涯、輝き続けていただかなければなりません。第62代理事長である竹原直前理事長に輝き続けていただくこと、それが2013年度の運動を風化させないためには、最も重要なことです。第63代池﨑理事長に輝き続けていただくこと、それが2014年度の運動を風化させないために、最も重要なことです。ですから、引き続き、この2つ目の役割は、2015年度以降も、自分のライフワークとしての継続事業(継続役割)にすべく、心に誓っているところです。

 

3.3つ目の役割

 

 続いて、3つ目の役割です。この役割こそが、本来的な副理事長の担いです。神代晃嗣室長、青山竜太委員長、伊藤龍平委員長という盤石な布陣のもと、私がすることは2つです。ラインの想い描く運動や構築する事業の内容と池﨑理事長の想いとの間に生じ得る「ズレ」を軌道修正すること、そして、ラインの想い描く運動や構築する事業が三役会・常任理事会・理事会で、誤解されないように議案の精度を上げ無用の議論を排除することです。そして「ラインの長は室長」「副理事長はそのラインを担当している責任者」という役割に徹し続けることだけを心掛けていました。「SAPP‿RO AWARD」という前代未聞の大事業です。どうしても当事者として運動と事業構築に関わり「あれもしたい」「これもしたい」「あれもできるのでは」「これもできるのでは」「こうしたらよい」「こうすべきじゃない」という言葉が想い浮かびます。ですが、とにかく自分の役割を知り、その役割に徹すること、まさに自我・私欲を捨て、副理事長として生きること。もちろん多少は悶々とする場面もあったのは事実ですが、神代晃嗣室長、青山竜太委員長、伊藤龍平委員長、そして「まちの魅力創造室」や「SAPP‿RO AWARD」に関わっていただいた皆様のおかげで、なんとか、私も1年間、「まちの魅力創造室」の担当副理事長としての役割を全うすることができたのでした。そして、2つ目の役割に続いて、この3つ目の役割も、自分のライフワークとしての継続事業(継続役割)として、2015年度以降も、ずっと運動を続けていかなければなりません。予定者段階で池﨑潤理事長が「夢をもとうよ」「もっとワクワクできる夢を語り合おうよ」「もっと大きいことができるのだから」と繰り返しおっしゃられていた言葉が今でも私の心に沁みついています。「SAPP‿RO AWARD」はまさに、札幌青年会議所の、いや、札幌というまちのフラッグシップになる、私たちの夢の萌芽です。今後も我々はJAYCEEとして、私たちの夢が大輪の花を咲かせられるよう、大切に育て上げていかなければなりません。

 

4.最後に

 

 最後になりますが、札幌青年会議所には「青年会議所はポジションの勉強の連続」という言葉があります。私も、「池﨑理事長の副理事長として格好良くい続けなければならない」という想いのもと、副理事長として1年間その役割を全うし、ポジションの勉強をさせていただきました。その副産物として、新年交礼会のセレモニーでは「奥山ターン(高速ターン)」という華麗なターンを生みだしたり、サマーコンファレンスでは「サマコンバンワ」という、今考えると、自分でも意味不明な言葉が生んだ白けた雰囲気のもと始まった挨拶で、窮地に陥り、最後は「奥山締め(高速締め)」という従来の一発締めをショートカットする画期的な締めの手法を編み出したり、懇親会では、自分では気づかなかった「出しゃばりキャラ」や「一杯の格差」という事態に気づいたりすることもできました。これもひとえに、副理事長としてご指名いただいた池﨑潤理事長、そして、議論する時は徹底的に議論しつつもずっと仲の良い時間をご一緒させていただいた2014年度の三副(さんぷく)メンバーである中村悌也副理事長と小田祐司副理事長(ASPAC終わっていません)をはじめとして、2014年度の1年間をお付き合いいただきました皆様のおかげでございます。1年間、お世話になりました。有難うございました。