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(一社)札幌JC池﨑理事長 × レジェンド葛西紀明選手

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池﨑理事長×レジェント葛西選手 対談

2014年4月2日(水)

ひとの活力とまちの魅力による 夢あふれる札幌の創造に向けて~たくましい青年経済人と誇りある日本人の育成について~

池﨑理事長
 本日は、お忙しいなか、お時間をいただきありがとうございます。私たち一般社団法人札幌青年会議所のメンバーは、基本的に一人ひとりが仕事をもった経営者が多い団体です。自分たちのまちを自分たちで良くしていこうと運動しており、子供たちや地域の未来のことを考えて運動を行っております。本年度は、たくましい青年経済人の育成や誇りある日本人の育成といったことをテーマに運動を行っており、本日はその運動の一環として、お話を聞かせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 早速ですが、葛西選手の偉業がギネス記録に認定され、昨日、3つもの認定証を授与されたとお聞きしております。おめでとうございます。

葛西選手
 ありがとうございます。実は、ギネス記録の認定は、私自身も全く知らないうちに申請がされており、連絡を受けて初めて知りました。突然の知らせだったため、驚きましたがとても嬉しかったです。

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池﨑理事長
 今回のオリンピックでの、葛西選手のご活躍を拝見させていただき、本当に感動いたしました。私だけでなく、日本の全国民が勇気をいただいたと思っております。3つのギネス記録の認定は、これまでの葛西選手のご活躍と偉業を考えると、私は当然のことだと思います。改めて、今シーズンを振り返ってみていかがでしたか?

葛西選手
 今シーズンは、最高の一年でした。ただ、今回のオリンピックでは、メダルを獲ることができましたが、僅差で金を獲ることができなかったことが、とても悔しいです。金メダルを獲りたかったですね。しかし、私が現役のときに、二度と日本でオリンピックが開催されることはないと思い頑張ってきましたが、怪我により良い成績を出せず、団体戦のメンバーにも選ばれず、さらに、金メダルの表彰台に登ることができなかった長野オリンピックのときが、私のジャンプ人生のなかで一番の悔しい思い出です。

池﨑理事長
 オリンピックに7大会連続で出場するだけでも、とても凄いことだと思います。葛西選手は、長野オリンピックのときに27歳だったと記憶しております。その歳はスポーツ選手としての一般的にはピークだと思うのですが、長野で悔しい思いをされたことが、葛西選手のその後のモチベーションとなり、これまで強い気持ちを維持し続けるための原動力になったということでしょうか?

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葛西選手
 そのとおりです。あの時の悔しさがこれまでジャンプを続けてこられた理由のひとつだと思います。もし、長野で金メダルを獲っていたら、私自身が燃え尽きてしまい、ここまで頑張り続けることができなかったと思います。しかし、岡部選手は、1998年に開催された長野オリンピックで金メダルを獲っても、ジャンプを続け、金メダルを目指し続けていました。また、スイスのアマン選手は、2002年のソルトレイクオリンピック、2010年のバンクーバーオリンピックでメダルを獲りましたが、今もモチベーションを保ち続けジャンプを続けています。私自身も、今回メダルを獲得し、以前より悔しさは感じないのですが、今後も金メダルをモチベーションにし、ジャンプを続けていきたいと思います。

池﨑理事長
葛西選手は、オリンピック後のインタビューで、41歳で銀メダルを獲得し、次の45歳のオリンピックでは自分はもっと強くなっているとお話されているのを聞き、とてもかっこいいなと思ったのですが、そのような気持ちを維持し続ける秘訣はあるのでしょうか?

葛西選手
 秘訣にはたくさんの理由があります。ひとつは、スキージャンプが大好きで愛しています。小学校3年生からジャンプを始めて、初めて飛んだ時は怖い気持ちもありましたが、もっと飛びたいと思いました。そして、下川町民ジャンプ大会に出場した時は、2位に入賞しメダルを獲得したことで、自分の好きなことでメダルが貰えることがとても嬉しかったです。そうした経験から、よりジャンプにのめり込み、気付いたらオリンピックで金メダルを獲得することが自分の1番の目標であり、夢となっていました。これまでの、6回のオリンピックでは、ほとんどが悔しい思いをしました。また、ワールドカップに450戦程出場しましたが、勝てたのは16勝だけで、その悔しさが自分のモチベーションにつながっていました。さらに、世界大会に向け、家族、会社、ファン、知人の力が僕を駆り立ててくれましたし、自分の能力を信じ続けたことが大きな理由だと思います。

池﨑理事長
 強い想いと、夢をもつことがスポーツ選手にとって大切だと感じました。そして、私自身も同世代の一人として、まだまだ自分の可能性を高めていかなければいけないと実感させられました。

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葛西選手
 そのとおりです。あの時の悔しさがこれまでジャンプを続けてこられた理由のひとつだと思います。もし、長野で金メダルを獲っていたら、私自身が燃え尽きてしまい、ここまで頑張り続けることができなかったと思います。しかし、岡部選手は、1998年に開催された長野オリンピックで金メダルを獲っても、ジャンプを続け、金メダルを目指し続けていました。また、スイスのアマン選手は、2002年のソルトレイクオリンピック、2010年のバンクーバーオリンピックでメダルを獲りましたが、今もモチベーションを保ち続けジャンプを続けています。私自身も、今回メダルを獲得し、以前より悔しさは感じないのですが、今後も金メダルをモチベーションにし、ジャンプを続けていきたいと思います。

葛西選手
 今、私は世界のトップレベルまで登りつめることができました。スキージャンプは異色で、ルールが毎年変わったり、マテリアルが増えたりします。それにより、98年の長野オリンピックでは日本チームが低迷しました。今後はルール変更があった際、対応できる能力が必要になりますが、僕のなかには進化し続けられる自信があります。45歳で迎えるオリンピック、49歳で迎えるオリンピックも同じだと思います。

池﨑理事長
 次のオリンピックで、金メダルを獲るということが高いモチベーションになっているということですね。我々の目指す、たくましい青年経済人の育成に向けて重要なヒントをいただきました。長野オリンピックの挫折により、打ちひしがれてしまうのが普通の反応だと思いますが、それをバネにされ41歳でレジェンドと呼ばれ、日本では勿論ですが、ドイツで最も有名で尊敬されている日本人であるとお聞きしました。今回のオリンピックで結果を残されましたが、さらに、もう一歩高みを目指すモチベーションは青年経済人にとって最も重要なことだと思いました。41歳で金メダルを獲られていたら引退をお考えになりましたか?それとも通過点だと思われましたか?

葛西選手
 僕の夢は金メダルですが、今回獲れていてもこれからも続けていたと思います。岡部選手が長野オリンピックで金メダルを獲り、それからも現役としてジャンプを続けていたように、私自身これからも現役としてジャンプを続け、もっと上を目指していきたいですね。

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池﨑理事長
 ワールドカップなどで年中、世界を転戦されておりますが、その際、日本の代表としての気持ちが強いのか、それとも、ドイツやフィンランドなど世界の仲間と競い合うという感覚のどちらの気持ちが強いのでしょうか。

葛西選手
ワールドカップでは、仲間と競い合うという気持ちの方が強いです。反面オリンピックでは、日本や国民の期待を背負ってという気持ちが強かったです。

池﨑理事長
 オリンピックとワールドカップでは気持ちが入れ替わるのですね。オリンピックの場合は、日本や国民のためという気持ちが強いのですか。やはり、緊張感も違いますか。

葛西選手
 そうですね、緊張感はまったく違います。

池﨑理事長
 ソチオリンピックの日本選手団の4割は、北海道出身ということもあり、私自身、オリンピックへの期待も喜びもひとしおでありました。今後は、北海道のスポーツ界がもっと盛り上がることを願っているのですが、北海道のスポーツ環境について葛西選手はどう思われますか。

葛西選手
 やはりスポーツにおいては、北海道日本ハムファイターズやレバンガ北海道、コンサドーレ札幌もあり、非常に盛り上がってきていると思います。しかし、ウィンタースポーツが72年の札幌オリンピックや98年の長野オリンピックでは盛り上がりましたが、一時のことで安定しないと感じました。ただ、今回こうしてオリンピックでのメダルを獲得することができ、今後は、札幌や北海道のスポーツ界が盛り上がって欲しいという気持ちと、期待は大きいですね。

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池﨑理事長
 私ももっと盛り上がるべきではないかと思います。以前は、北海道にプロのスポーツチームがなく、最初にできたプロスポーツチームがコンサドーレ札幌です。その誘致に関わったのが、札幌青年会議所の先輩たちでありました。コンサドーレ札幌の誘致を成功したことがきっかけとなり、プロスポーツチームの北海道日本ハムファイターズやレバンガ北海道が誕生し、今後も、他のスポーツにもつながっていくと感じております。そして、何よりもスポーツは人に夢を与えるだけでなく、心も豊かにしてくれると考えています。葛西選手は、さまざまなまちや国に暮らされたことが多いと思いますが、葛西選手が感じている札幌や北海道のまちの魅力があれば教えて下さい。

葛西選手
 海外のさまざまな国で過ごしましたが、私は札幌のまちが1番好きですね。私は、下川町出身ですが、高校より札幌のまちに住み、下川町より長く住んでいます。札幌は、自然が多く、近代的なまちで、スキージャンプ台や札幌ドームもあり、自然とまちが調和しているだけでなく、バスや地下鉄もあり交通の便も良くとても住みやすいまちですね。また、札幌は、食文化も素晴らしいと思います。海外でもお寿司やラーメンは人気ですが、私自身も日本に帰ってきて日本食を食べると、力になり、エネルギーの源になっていますね。

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池﨑理事長
 私も、札幌はとても素晴らしいまちだと思います。食べものもそうですが、自然と都市がバランス良く一体となった環境。スポーツを身近に見ることもでき、芸術も楽しめ、魅力あるまちになってきているのではないかと思います。インフラ整備のきっかけとなったのはオリンピックの影響もあったと思います。1972年に開催された札幌オリンピックを境に、世界中に札幌という名前が知れ渡ることとなり、改めてオリンピックの影響が大きかったのではないかと思います。また冬季オリンピックを札幌に誘致しようという話がありますが、葛西選手はどのように感じていますか?

葛西選手
 ぜひ、札幌オリンピックを実現して欲しいと思います。その頃には、現役から引退していると思いますが、コーチとしてスキージャンプに携わり、若い選手を育てメダルを獲らせてあげたいと強く思います。若い選手は、しっかり指導することでもっともっと強くなってくれると自信をもっています。

池﨑理事長
 オリンピックには多くのお金もかかりますが、私はそういうことだけではなく、それ以上の価値を生み出せると思います。お金では換算できないものを、オリンピックは生み出す力があります。札幌市で夏のオリンピックを誘致する話が数年前にあり、市民アンケートを行った際に、反対の声が少しだけ多くて見送ったということがありました。札幌オリンピックを実現するためには、市民の機運を盛り上げていくということが大切だと思います。葛西選手は、札幌青年会議所に期待していただけるようなことは何かありますか?

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葛西選手
 札幌青年会議所のメンバーがリーダーとなり、札幌市民の機運をひとつにし、スポーツもそうですが、この札幌を世界に広めて欲しいという期待があります。選手も札幌のまちも有名になって欲しいので、もっと札幌をアピールし、多くの魅力を発信できるよう頑張って欲しいと思います。僕は、そうした市民の頑張りに刺激を受け、より良い成績を出すことにつなげられると考えていますし、札幌や北海道、日本を背負いスポーツをつうじて札幌のまちを有名にしていきたいと思います。また、札幌のまちでオリンピックが開催されることは、多くの市民に夢を与えることにつながり、大きな夢を抱くひとが増えることで、より魅力的なまちへと発展するきっかけになるのでは、と考えています。

池﨑理事長
 私も、多くの市民が夢を抱くことが、札幌が魅力的なまちへ発展するきっかけとなると考えています。本年は、私たち札幌青年会議所の運動として、「ひとの活力とまちの魅力による夢あふれる札幌の創造」を基本理念に掲げております。その実現のためには、夢をもてる「ひと」が大切で、葛西選手のように夢をもち続けるモチベーションが行動につながります。現在の札幌は、そういった夢をもてる「ひと」が増えることが必要で、多くの夢をもった子供たちがあふれる地域になれば良いと強く思っています。そうした視点から見て、葛西選手は、今の青年世代の社会人や経済人を見て何か感じるものはありますか?

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葛西選手
 最近の青年世代は、安定志向に感じます。もっと大きな夢をもってもらいたいと思いますね。日本人は、他国より優しく、人に好かれると言われておりますが、その他に日本人はとても賢いと思います。特に、電化製品を精密に作る技術は素晴らしいと思います。こうした技術を生み出す、日本人の繊細さやひらめきは他の国にくらべると素晴らしく、大きな力を秘めていると思うのですが、ここ数十年は日本が暮らしやすいがために言葉は悪いですが、だらけていると感じます。今後、他の国でも社会状況が厳しくなると考えられますので、今こそ日本人は危機感をもち、本来の繊細さを大切にして大きな夢をもつことにより、賢い日本人が力を発揮し、日本経済の活性化につながると思います。

池﨑理事長
 私も今の青年世代が、夢をもつことが重要だと考えています。日本はすばらしい国だと思いますが、もっと自信や誇りを持つことが必要だと感じます。そして他人を思いやる精神というのを大事にするべきではないかと思います。世界中の方々を知る葛西選手より、先程日本人は優しいというお話を伺いましたが、非常に説得力を感じました。これまで、葛西選手のなかで日本人として大切にしてきたことがありましたら教えていただけますでしょうか。

葛西選手
 僕自身の人生で、今まで色々なことがありました。妹が難病になったり、母が火事で亡くなってしまうという経験や会社に入社後スキー部が廃部になる、経営破綻をしたりという経験を経て、これまで、「感謝の気持ち」を1番大切にしてきました。家族も小さいときから僕の応援をしてくれて、スキー用具の準備や遠征をする費用は、僕のために母も姉も働いて工面をしてくれました。本当に感謝をしています。そして、株式会社土屋ホームに入社し、スキー部を作ってもらい、スキーをやっているのではなく、やらせてもらっているという感謝の気持ちを忘れずに続けてきました。スキー部を作っていただき13年になりますが、僕はいつも恩返しをしたいとい思っていましたが、やっとメダルを獲ることで恩返しができたと思っています。これからも、家族や会社、北海道中の応援をしていただいた方達に恩返しができたらと思っており、そういう感謝の気持ちを、若い世代には、もって欲しいと思います。そうした、感謝の気持ちをもつことが、自信や誇り、プライドを高める原動力になり、他人を思いやる精神を育むことにつながると思います。

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池﨑理事長
 私は、昨今の経済活動でも、葛西選手が大切にしてきた、感謝や思いやりの精神が失われつつあるのではないかと危惧しております。私たちは、色々なつながりのなかで経済活動を営んでおります。業績を考えるのは勿論ですが、それだけを追求するのではいけないと考えており、感謝の気持ちや思いやりの精神を大切にし、従業員を始めとするあらゆるひとの幸せを追求することが本来のリーダーの役割だと考えています。そういった考えをもつリーダーが、これからの地域を牽引するたくましい青年経済人ではないかと考えています。本日は、札幌青年会議所の本年度の運動テーマであります、「たくましい青年経済人の育成」と「誇りある日本人の育成」に向けて、多くのヒントをいただくことができました。最後に、青年世代の札幌市民に向けてメッセージをお願いいたします。

葛西選手
 今回ソチオリンピックでは、私自身が努力を続けてきた結果として、銀メダル、銅メダルを獲得することができました。青年世代の皆さんも努力を続けて自分の大きな、大きな夢に向かって頑張っていただけたらと思います。

池﨑理事長
本日は、長時間に渡り誠にありがとうございました。

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