札幌の歴史と、JCとの関わりについて
札幌JCとのかかわり
札幌のまちづくりに、私たち札幌JCも関わってきました。
(CHECK1→) JR札幌駅付近の高架化
1970年代後半の高度経済成長により、札幌市中心部の渋滞化が急速に加速し、ラッシュアワー時北4条付近ではいわゆる「開かずの踏み切り」が増加。交通渋滞により交通事故も多発し、地域住民からは市などへの苦情が相次ぎました。札幌JCでは、JR線(当時国鉄線)の高架化を行政。自治体に提言。各方面からの検討結果、1988年より高架化営業が開始されました。
(CHECK2→) 札幌アートパーク構想
札幌の重要文化施設として、市民に広く知られている「さっぽろ芸術の森」は2006年で開園20周年を迎えました。この誕生の契機は、1976年に札幌JCによって提唱された「さっぽろアートパーク構想」によるものでありました。
市民が芸術に親しみ、自ら創造する場を提供することで、文化都市・札幌のアイデンティティを確立しようとするこの構想は、今も色褪せない説得力をもっています。この実現を踏まえ、札幌JCは2006年、新たに「札幌のグランドデザイン」を提言させていただいております。
(CHECK3→) コンサドーレ札幌誘致活動
1993年に開幕したJリーグにより、日本は空前のサッカーブームに突入しました。札幌でもプロサッカーチームの誘致を、との声が高まりました。私たち札幌JCは地域住民の懇願であったプロチーム誘致に向け、1993年10月に「Jリーグプロチーム誘致推進特別委員会」を設置し翌年4月に「北海道にJリーグを呼ぼう!」署名運動が展開されました。その結果31万人もの署名が集まり、誘致組織として「札幌SJクラブ」が発足し、1996年にはJFLの東芝が札幌に移転、「コンサドーレ札幌」としてJFLに参戦。1996年には5位だったチームは1997年にフェルナンデス新監督のもと、3月にJリーグヤマザキナビスコカップで決勝トーナメント進出を果たした。その勢いのままに4月からのJFLでも勝利を重ね、10月にはJFL優勝、Jリーグ昇格を果たしました。その後、チーム成績の低迷により1年でJ2降格となりましたが、1999年岡田監督を迎え入れ、2000年J2優勝とJ1昇格を達成。2002年に再度J2降格を経験し、2007年悲願のJ1復帰を果たしました。
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