理事長所信

 

社団法人札幌青年会議所 第59代理事長 玉腰 勇吉

はじめに

 

 終戦後、東京がまだ焼け野原で多くの人々が絶望に打ちひしがれていた頃、「日本の復興は我々青年の仕事である。」と志を立て、三輪善平氏らによって(社)東京青年会議所が誕生し今年で61年目を迎える。また、これと時をほぼ同じくして我々の(社)札幌青年会議所も誕生し今年で59年目となる。このような意味深い2010年度であるが、アメリカのサブプライムローン問題に端を発した世界同時不況により、今もなお日本経済は深い低迷を続け、多くの人々が苦しんでいる。私は、この状況が青年会議所創生期の時代背景に似ている気がしてならない。「こんな時代だからこそ」59年という長きに亘り先輩諸兄によって連綿と受け継がれてきた想いを大切にしつつ、高い志をもって、変革の能動者たらんJAYCEEとして、青年経済人として、そして地域のリーダーとしてこの難局を乗り越えて行かなければならない。何時の時代も地域を想い、国を愛し、時代を創る情熱と責任は不変であり、その運動を邁進していく中で、変えていくのは時代に適した運動であり、変えてはいけないものが仲間や地域への想いであると私は確信している。

 

出会い

 1999年、私は仮入会者として(社)札幌青年会議所の門を叩いた。その頃は「2000年JCI世界会議札幌大会」を翌年に控えていたこともあり、メンバーの多くが高まる緊張感と抑えきれない興奮に湧き立っていて毎日がただ圧倒される日々であった。そして、気が付いたら2000年度も終わりを迎える頃、何に感動したのかも分からないのに、何故だか人目も気にせず涙を流している自分がいて、ここから私のJC運動が始まった。それから、人との出会いやふれあいのなかで数多く気付きと絆を得ることでまちへの想いや考え方が緩やかに変わっていった。

 

札幌の近未来を考える

 昨今、様々な場面で「地方分権」「道州制」の議論がされるようになった。その中で北海道は地理的条件からも全国の先駆けとなるだろうとマスコミ等でも取り沙汰されている。しかし、一方で多くの札幌市民はこの事案を自分ごとや我がまちのこととしてどの程度理解しているであろうか。この事案は札幌を明るく豊かなまちへと導くのか、あるいは後退するものなのか。我々は今後現実に起こり得るであろう札幌の近未来を真剣に見据え、多くの資源をもつ北海道の中枢である札幌市の地域特性を十分に活かした実現可能なビジョンを探求することが重要である。明るく豊かな札幌の創造こそが先輩諸兄から脈々と受け継がれてきた我々の使命であり、この課題への市民意識の醸成が本青年会議所としての大きな担いであると感じている。

子どもの心を育む教育

 豊かさに慣れすぎた現代、子どもたちは自然とのふれあいや仲間達との交流よりも勉学やゲームにいそしんでいる様に感じてならない。その結果、もっとも大切な家族を愛し地域に誇りを持ち、そして国を尊ぶ。そのような当たり前の気持ちが現在は薄れつつあるのではないだろうか。これらの原因は、両親の共働きや一家庭における子どもの数の減少、または学歴主義が生み出した競争社会など数限りなくあるが、それらは所詮言い訳に過ぎない。今こそ未来を託す子ども達に我々はより良いまちを創造していくための心の教育が必要であると考える。未来のまちを創造していく子どもへ豊かな感受性と人とのふれあいから生まれる絆、そして地域性を活かした教育を展開していくことが健全な社会へと繋がっていくのだ。子どもへの心の教育なくして、我々の目指す明るく豊かな札幌の創造はありえないと確信している。

 

訴求力のある運動

 本青年会議所のこれまでの運動を振り返った時、すべてが確固たる成果を残せたとは言い難い。もちろん素晴らしい運動や事業も数多くあるが、反面、自己満足に終わってしまった運動や事業も少なくないと思う。その大きな要因として、マーケティングの欠如があると私は考える。我々が運動を計画し実践する際、その運動が地域から求められているのか、本当に必要なものなのか、それは何に裏付けられたものなのか、これらを事前に十分に検証することが大切である。同時に様々な情報を客観的かつ多面的に精査し、その中で自身の進むべき方向や手法を選択し進んでいくことが重要である。これは会社組織を運営する上でも同様で、この能力を身につけることが青年会議所メンバーとして地域のリーダーとして青年経済人として今求められていると考える。

 

OMOIYARIの気持ち

 「思いやり=自分の身に比べて人の身について思うこと。相手の立場や気持ちを理解しようとする心。」(広辞苑―岩波書店)
古来より日本人にとってはごく当たり前であったこのOMOIYARI。何処かで誰か(仲間)が汗をかきまちづくり運動をしている。そのような現実を我々はどこまで把握しているのだろうか。人を思いやり、まちを想う、当たり前のOMOIYARIを持たない人間の運動を誰が聞くのだろう。我々の事業に共感を持って集ってくれる皆様に心からの感謝の気持ちは届いているのだろうか。私は幼い頃に野球をしていたが、そのキャッチボールひとつ取ってみても、投げる側が“投げる球の速さ”や“受けやすい位置”など受け取る側のことをよく考え、投げてあげなければキャッチボールは成り立たない。逆もしかりである。このような当たり前の些細なことが、我々の運動を推進していくことはもとより、仕事でも家庭でも、人として生きていく以上、常に大切にしていかなければならないと考えている。だからこそ我々はまちづくりを志す以上OMOIYARIの心を忘れてはならないし、その心をまちづくり運動に活かすと共に地域社会に伝播していかなくてはならない。

 

自身に問う

 「会員の減少が止まらない、会員の拡大が進まない。」
これは今、全国の青年会議所が抱える大きな問題の一つであり、我々も例外ではなく、世界会議を開催した10年前との会員数と現在の会員数を比較すればその厳しさは歴然であり、残念ながら他の青年会議所以上に深刻であることを認めざるを得ない。では、何故会員が減少してしまったのだろうか。そもそも青年会議所を去る人、入会を断る人には経済的な事情や家庭の事情、または会社の支援や業務上の都合など様々な理由がある。しかし、こういった本人にとってはどちらかと言えば外的な要因よりも、自身が青年会議所に魅力を感じなくなった、もしくは感じないからであると私は考えている。その原因を作っているのが我々自身であることを正面から直視しなければならない。我々自身が本当にまちを変えたいと考えているのだろうか、市民の声に真摯に耳を傾けているだろうか、物事を十分に議論し実践に移しているだろうか、真に語り合える先輩や仲間が何人いるのだろうか、そして何より自分自身が本当に青年会議所を必要としているのだろうか。自分が自信を持てないものや魅力を感じないもので、人を説得することは出来ない。このようなごく当たり前のことを忘れてはいないだろうか。まずは、自分から青年会議所の魅力や存在意義を今一度再認識し、会員拡大を始めとする青年会議所運動に邁進していかなくてはならない。

 

60周年を考える

 本青年会議所が次年度60周年を迎えるにあたり、本年度の責任者として思うところがある。そもそも、「周年」とは何か。現在、全国の青年会議所のほとんどでは、5年単位で周年のお祝いや事業を行っているが、単に過去の功績を賞賛し、先輩諸兄に敬意を表し交流を楽しむためだけに行われるものではない。もちろん先輩諸兄に敬意を払うことを忘れてはならないが、地域や諸先輩の想いや歩みをしっかりと検証し、我々の立ち位置を充分に再認識することで、そこから始まる未来を考える大切な機会であると考えている。そのために今年度に何ができるのか、私は本年度が大きな意味を持つと確信している。

 

伝えたいこと

 皆さん青年会議所は、40歳を迎える歳に卒業をすることをどの様に捉えていますか。私は、限られた時間の中で精一杯運動することに価値があるのだと考えます。まちづくりは一生涯続けることができ、また続けなければならない。青年会議所運動を通じた自分づくりや、真の仲間づくりは今しかできないのだ。しかしながら、青年会議所に入会しただけで本当の仲間ができる訳ではなく、まちづくりにどれだけ真剣に向き合い仲間と切磋琢磨することで本当の仲間ができるのである。何故青年会議所で出来た仲間は一生の友となれるのか、それは利害関係のない中で共にまちづくり運動に奉仕し修練することで真の友情が芽生えるという単純な流れではあるが、是こそ青年会議所の最も優れている部分である。そして「JCは旅が重要だ」と入会当時からよく諸先輩がお話しされ、私も何時しかそう考えるようになった。何故ならば、JCを通してしか行かないであろう地域や国に行き、その地域の文化や風土、食生活や人柄に触れる・・・。そのような経験は人を成長させるばかりではなく我々がいかに恵まれているのか、これからどのようなまちづくり運動をしていかなくてはならないかを教えてくれる。それはまさしく心や価値観の成長に繋がるのだ。この様に多くの気付きや個人の資質を向上させてくれるそんな青年会議所に出会えたことは私の人生における最大の転換期であり、数多くの仲間に出会えたことや共にまちづくり運動を行えることを(社)札幌青年会議所に感謝したい。

 

若いうちの苦労は華よ
やがて花さき実にもなる

 

我々の運動がかくある事を信じて。

 

 

 

 

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